韓雲史記念館
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- 位置 : 忠北槐山郡青安面靑安邑内路45-6 (邑内里、韓雲史展示館)
- 分類 : 記念館
- 建物沿革
- 竣工日 : 2010. 11.(地上2階建て鉄筋コンクリート構造物)
- 延べ面積 239.59㎡、建築面積 186.19㎡
- 休館日
- 官公署の休日に関する規定による休日の翌日(毎週月曜日)
- ただし、月曜日が休日の場合はその翌日 / 1月1日、旧正月および秋夕(日本のお盆)連休
- その他に槐山郡守(以下「郡守」という)が必要と認めて定めた日
- 観覧時間
- 夏季 09:00~18:00
- 冬季 09:00~18:00 (観覧料 : 無料)
第1展示室(種)、第2展示室(道)、第3展示室(汗)、第4展示室(雲)
作品も人生も、種をまき、歴程をたどり、汗を流し、やがては雲のようにという、平素韓雲史(ハン・ウンサ)先生の作品の中に込められた哲学と人生観、追及してきた精神とテーマの象徴です。記念館は大きく2つの部分に分けられます。
1階 は事務室と様々なイベントおよび映像を上映できる多目的室があり、主に韓雲史先生の故郷に関連した写真と映画のスチール写真が展示され、展示は入り口から「種」、階段室の「道」、2階展示室の「汗」、屋外テラスの「雲」の4つテーマから構成されています。
2階階展示室は中央をあけてある「ロ」字形に構成されており、外部の壁に沿って飾られた額がならび、中央の窓からは松と空の雲が見えるようになっています。ガラス窓には先生の寸鉄殺人の名言、普段書き置いた放言が刻まれています。
作家、韓雲史は誰か?
本名はカンナム(看南)。1923年1月15日、忠北槐山出生。日本の中央大学、京城帝国大学で修学し、ソウル大学文理大学仏文科を中退。
1948年に放送作家として活動を始め、1965年には映画「赤いマフラ」など20編余の映画のシナリオと1961年には小説「玄界灘は知っている」、1971年、ドラマ「南と北」など、ラジオとTVドラマの放送台本を執筆し、1970年代にセマウル運動が野火のように燃え広がった時期、キャンペーンソング「豊かに暮らそう」を作詞。/ また、韓国映像文学の花を咲かせ、社会性と時代性を背景にしたヒューマニズムとロマンチシズムあふれる人間像を描きながら、一世を風靡した韓国放送ドラマ開拓の代父と呼ばれ、2002年、韓国放送映像産業振興院名誉の殿堂に殿堂入りし、2009年8月11日に老衰のため他界した。
韓雲史記念館建立の意義
「赤いマフラ」、「南と北」をはじめ、数多くの放送ドラマと映画、小説を書いた韓国の第1世代のTVドラマ作家、韓雲史の作品世界を称え、槐山郡青安面地域の文学的巧緻とアイデンティティを高めるため、彼の生家跡に建立された。展示室と多目的室、野外公演会場があり、特に放送ドラマ作家、放送系の人間としては初めて建てられたTVドラマ関連資料を所蔵している韓国初の記念館である。